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2013年09月23日
★Tsunami Original Laos サムヌア織り七分Pants ★
おはようございます~♪
秋分の日おめでとうございます!
Tsunami Openです!
本日は~ラオスはベトナム国境近くのサムヌア地方のサムヌア織りを使ってPantsが仕上がりました!
世界的にも有名なサムヌア織りは、横糸がシルクで織られていて、今現在少なくなってきたアンティーク古布となります。
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サムヌア織りとは?
LAOS 古都ルアンパバーンからバスでグネグネ山道林道をひたすら21時間
ベトナム国境から100km
各家庭、必ず庭で蚕を育ててる、織物の産地です。
...
サムヌア プーサイ村 http://travelmonkey.sakura.ne.jp/blog/laos/598
腰幅 45cm 丈 70cm
¥9800
通販もOK!です。
全国送料無料!
★お問い合わせ★
098-890-0959
tsunami_importmarket@ybb.ne.jp
13:00~21:00
水曜定休
2008年07月02日
なぜ TSUNAMI なのか?
今日はtsunamiをもっと知っていただくために、tsunamiの名前の由来を簡単に説明します。
あれは、かれこれ4年前、僕達夫婦は東京高円寺から沖縄に移住してきました。
かねてから構想を練っていた、沖縄で店を開ける為、それから3ヶ月間の日程で仕入れの旅にアジア中心を周りました。
そして旅の期間中いろんな試練が待ち受けてました。
タイでは宝石詐欺に引っ掛かりそうになったり、ホーチミンじゃかみさんがいきなりひったくりに遭い
ハノイでは自分がスリに遭い(こいつは捕まえた)、帰りの航空チケットをなくしたり、島で乱闘になったり etc....
それでもなんとか仕入も終わり、ふたたびタイに戻ってきてクリスマスはビーチで過ごそうという事になり
プーケットに近いクラビーに向かいました。
やっと都会の喧噪から抜け出し、静かに4日目の朝を迎えました。
その日の朝、朝飯を食べてるとアメリカ人夫婦からビーチでお茶を飲まないか?と誘われ
食事も早々にビーチへ向かいました。
そしてお茶しながら煙草も吸い終わる頃、いきなり遠浅のリーフの所で、いつもはべたなぎの波ひとつ立ってない海が
10メートル級のチューブが巻き始めました!
僕らはそれをなんの事やら訳がわからず、
ボケ~~~~~~っと見ていました。その押し寄せる波が綺麗すぎて感動さえしました!
その崩れた波があっという間に自分達の所まで押し寄せてきましたが、なんとか間一髪、4人共後ろの土手に気が付いたら
飛び上がっていました。ですが、1発目の波が引いた後、物凄い数の魚が浜に打ち上がり、僕らはその魚を奇声を発しながら
捕りはじめました。(もうアドレナリン ピュッピュ!!)
この時にきずくべきでした・・・・
ふときずくと、さらにでかい2発目の波が両手に魚の僕たちを飲み込み、意図も簡単に後ろの森の中へ押し流しました!
初めて森の中を泳ぎながら、これは非常事態だな!と、その時確信しました。
引いていく水の力がこれまた半端なく強力で、適当な木にしがみ付いてるしかありませんでした。
さらに3発目 どっか~ん!!! さらに奥の森の中へ ララララ~
獣道も無いトゲトゲだらけのがさやぶの中を体をローリングさせながら突っ込んでいきました!
とうとう世界の終りが来たんだ!俺たちは死ぬんだな!あーーー!まじでそう思いました。
そして目の前で引いてく水に無抵抗まま引かれていってるかみさんと、アメリカ人の嫁発見!(でも、かみさんはなぜか片手にクリスマスプレゼントで貰ったマグカップを持っている)
咄嗟に二人の腕を掴みなんとか3発目の波をやり過ごしました。
もう訳が解りませんでした・・・・そのまま森の奥へ逃げましたが、履いていたサンダルもすでに流されていて
さらには森の中で迷ってしまい、4発目を心配しましたが、なんとかもといたバンガローまで戻ることが出来ました。
戻ると白人のヨーロピアンのおばさんが ツナ~ミ~!ツナ~ミ~!と泣き叫んでいました。
そこで初めて TSUNAMI は、世界共通の日本の言葉という事にきずきました。不謹慎ですが、何かその時すごく感動したのを覚えてます。
このスマトラ沖地震大津波で30万人の人々がお亡くなりになりました。僕らは生かされました。ただそれだけの話ですが、
僕らはこの事を一生忘れないでしょう。 合掌!
決してサザンのtsunamiじゃありません!
あれは、かれこれ4年前、僕達夫婦は東京高円寺から沖縄に移住してきました。
かねてから構想を練っていた、沖縄で店を開ける為、それから3ヶ月間の日程で仕入れの旅にアジア中心を周りました。
そして旅の期間中いろんな試練が待ち受けてました。
タイでは宝石詐欺に引っ掛かりそうになったり、ホーチミンじゃかみさんがいきなりひったくりに遭い
ハノイでは自分がスリに遭い(こいつは捕まえた)、帰りの航空チケットをなくしたり、島で乱闘になったり etc....
それでもなんとか仕入も終わり、ふたたびタイに戻ってきてクリスマスはビーチで過ごそうという事になり
プーケットに近いクラビーに向かいました。
やっと都会の喧噪から抜け出し、静かに4日目の朝を迎えました。
その日の朝、朝飯を食べてるとアメリカ人夫婦からビーチでお茶を飲まないか?と誘われ
食事も早々にビーチへ向かいました。
そしてお茶しながら煙草も吸い終わる頃、いきなり遠浅のリーフの所で、いつもはべたなぎの波ひとつ立ってない海が
10メートル級のチューブが巻き始めました!
僕らはそれをなんの事やら訳がわからず、
ボケ~~~~~~っと見ていました。その押し寄せる波が綺麗すぎて感動さえしました!
その崩れた波があっという間に自分達の所まで押し寄せてきましたが、なんとか間一髪、4人共後ろの土手に気が付いたら
飛び上がっていました。ですが、1発目の波が引いた後、物凄い数の魚が浜に打ち上がり、僕らはその魚を奇声を発しながら
捕りはじめました。(もうアドレナリン ピュッピュ!!)
この時にきずくべきでした・・・・
ふときずくと、さらにでかい2発目の波が両手に魚の僕たちを飲み込み、意図も簡単に後ろの森の中へ押し流しました!
初めて森の中を泳ぎながら、これは非常事態だな!と、その時確信しました。
引いていく水の力がこれまた半端なく強力で、適当な木にしがみ付いてるしかありませんでした。
さらに3発目 どっか~ん!!! さらに奥の森の中へ ララララ~
獣道も無いトゲトゲだらけのがさやぶの中を体をローリングさせながら突っ込んでいきました!
とうとう世界の終りが来たんだ!俺たちは死ぬんだな!あーーー!まじでそう思いました。
そして目の前で引いてく水に無抵抗まま引かれていってるかみさんと、アメリカ人の嫁発見!(でも、かみさんはなぜか片手にクリスマスプレゼントで貰ったマグカップを持っている)
咄嗟に二人の腕を掴みなんとか3発目の波をやり過ごしました。
もう訳が解りませんでした・・・・そのまま森の奥へ逃げましたが、履いていたサンダルもすでに流されていて
さらには森の中で迷ってしまい、4発目を心配しましたが、なんとかもといたバンガローまで戻ることが出来ました。
戻ると白人のヨーロピアンのおばさんが ツナ~ミ~!ツナ~ミ~!と泣き叫んでいました。
そこで初めて TSUNAMI は、世界共通の日本の言葉という事にきずきました。不謹慎ですが、何かその時すごく感動したのを覚えてます。
このスマトラ沖地震大津波で30万人の人々がお亡くなりになりました。僕らは生かされました。ただそれだけの話ですが、
僕らはこの事を一生忘れないでしょう。 合掌!
決してサザンのtsunamiじゃありません!